物言えば唇寒し

 「物言えば唇寒し寒し秋の風」

  芭蕉の言葉だそうで、人の悪口を言えば後味の悪い思いをするといった意味らしい。今や、「物言えばインターネットで大炎上」といった状況になっている。最近の流れを見ても、新型コロナ、オリンピック、ジェンダー、皇室問題などなど有名人のちょっとした発言が大炎上している例は枚挙に暇が無い。

 自分が若い頃は「男らしい」「女らしい」というのは間違いなく褒め言葉で、何の気なしに使っていたものだが、今だとうっかり「男らしい」「女らしい」などと使うと男女差別論者などと曲解されて、SNSで炎上しかねないと思う。そんなわけでこのブログも、うっかりしていると読んだ人に不快な思いをさせるのではないかとか思ってしまい、なかなか筆が進まなかったのだ。とはいえ、このブログ自体少数ながら楽しみにしてくれる方もいるようだし、弁護士奥田の人となりを伝えて少しでも敷居の低い法律事務所を目指したいという気持ちもあるので、今回、再開することにしてみた。

 

 人それぞれに物の考え方とか主義主張、好みには違いがあって、それだからこそ世の中は面白いし、「自由」ということの基盤になっていると思われる。考え方や好みがその人の内心にとどまっている限りは、問題が起こることもない。例えば極端な話、私がイスラム教原理主義者であったとしてもその考えが私の内心にとどまっている限りは問題なく弁護士業務が出来るだろうし、他人から批判されることもない。

 

 考え方や好みを他人に表明するとどうなるか?

 例えば「自分は憲法改正論者だ」とか「生卵は食べられない」とかを友人知人に話したらどうか?ああ「奥田ってそういう考えなのか」とか「卵かけご飯美味しいのに」と思うだけで、それだけで激しい非難をしたり、奥田とはもう付き合わないというひとは少ないと思われる。それは、奥田が憲法改正論者だろうが生卵が嫌いだろうが、それだけでその友人知人に迷惑がかかるわけではないし、それ以外の奥田の人格なり、人柄なりが友人知人にとって付き合うに値することが多いからだろう。要するに聞き流せばいいことなのである。

 ところが、これがSNSで「自分は改憲論者だ」などと表明すると見も知らない人から「ネトウヨ」とかいわれて非難され炎上することになりかねない。私個人としてはそのレベルであればほっときゃいいのにと思うのだが、そういうことを楽しみにしているネット住民の方もいるようだ。

 

 次に、自身の考え方や好みの表明にとどまらず、意見を述べることはどうか?

 「○○党の○○とういう政策には反対だ」とか「芸能人○○が○○という発言をしたが不適切と思う」とかこれも対面で友人知人とやっているうちは、いわゆる世間話というやつなので、問題はなかろう。 

  また、弁護士は意見を言うのがその業務の大半であり、私も「被告人を無罪にすべきだ」とか「依頼者には離婚にともなう慰謝料として300万円が支払われるべきだ」という意見を言うのが日常業務である。ときには相手方にとってかなり厳しい意見をいうことすらある。もちろん相手方からは反論されるが、必要なら再反論して最終的に裁判所が私の意見を認めてくれることを目指す。対面とか直接のやりとりでは意見表明をしても、それだけで奥田の人格が非難されたりするようなことはまずない。

 そもそも意見表明することが自由でなければ民主主義がなりたたず、憲法で表現の自由が手厚く保障されているのもそれが主な理由である。

 ところが、インターネットで意見表明すると場合によっては、全く関係ない人から多勢に無勢で非難されたり、感情的な言葉を浴びせられたりして、意見表明が封殺されることすらあるようである。私個人としては、そういう考えの人もいるんだなと放っておいてくれればいいのにと思うのだが。また、ヘイトスピーチという議論があるが、保護すべき意見表明とヘイトスピーチとの線引きが難しいなと思っている。

 

 さらに進んで、人格非難を行うとどうか?

 ここで人格非難というのは、具体的な事実に基づかないで、ある人について一方的な主観的評価(多くの場合、「下品」とか「卑劣」といった否定的な)をあげつらうことを意味する。これは、問題であり場合によっては侮辱罪、名誉毀損罪になりかねない。まぁ、内々で誰かの噂話をしたり、悪口を言ったりするレベルなら問題ないだろうが、公開の場やインターネットで人格非難をすることは問題で、有名人がこれをやってしまうと炎上するのは仕方ないかなとも思う。離婚事件などをやっていると、人格非難的な書面が飛び交ってまとまる話もまとまらないといったことも経験する。

 また、「女性」とか「年寄り」とか一般化抽象化して論評することも論評の仕方によっては不適切だったり、アンフェアと感じられて、ネット上とか公の場で行うことには問題があると思われる。森さんの「女性は話が長い」という発言が典型である。

 個人的には、主観的評価でも○○は好きだとか○○は楽しいとかの肯定的評価なら多くの場合問題は起きないが、○○は嫌い、○○は気持ち悪いといった否定的評価の場合、SNSなどで見ている人に不快な思いをさせることが多いとも思っている。

 

 インターネット上での表現についてはまだまだ考えるべきことはあると思うが、とりあえず奥田個人としては、自身の考えの開陳や意見表明にとどめ人格非難に至らないよう気をつけたいと思っている。

 

 また、ボチボチとブログを書くつもりなので、読まれた方は奥田のたわ言と思って受け流していただきたい。