裁判官になっていたら?

 私が司法修習生になったのは平成4年4月、当時司法修習生は600人くらいだったと思う。司法修習生というのは、裁判官、検察官、弁護士になるための研修生のことである。

 裁判官の採用人数は、当時も今とあまり変わらず100人程度だったと思う。なので、裁判官になりたい人の競争率は6倍ということになる。本当は既にはじけていたのかもしれないが、当時はバブル景気が続いており、弁護士業界もまだ景気がよかった(土地関連の仕事が結構あったはずである。)。裁判官になろうとする人がなかなか100人まで届かないので、今では考えられないことだが、裁判官の採用も売り手市場であった。

 

 そんな事情もあってか、私も研修所の教官や実務修習先である札幌地方裁判所の裁判官から裁判官にならないかと勧められたものである。当時の私にとって、決断を下すという裁判官の仕事には魅力とやりがいが感じられ、裁判官になろうか結構迷ったものである。当時は裁判員制度がなかったが、もし当時から裁判員制度が存在していたら、裁判官になっていたようにも思う。市民の方と議論しながら、犯人の有罪・無罪や量刑を決めるのは、今の私から見てもとても魅力的でやりがいのある仕事である。今自分は弁護士で、裁判員裁判の経験もあるが、いつも思うのは評議に顔を出して、市民の方に直接説明したいということである。

 

 もし私が裁判官になってたら、どうなってただろうな。裁判官の定年は65歳なので、定年まであと10年を切っている。司法修習同期の裁判官は、多くが地方裁判所の裁判長になっている(テレビの裁判報道で同期の姿を見ることもしばしばである。)。出世頭は司法研修所の事務局長(ナンバー2)かしら。まだ、地方裁判所の所長になった人はいないみたいだが、あと2、3年のうちに所長になる人も出てくるのだろう。私が裁判官になったとしても、大した出世はしていないだろうが、クビになるような大それたこともしないだろうから、そろそろどこかの地方裁判所の裁判長になっているのではないか。

 裁判員裁判の評議を仕切ってみたかったなという思いはあるし、何より裁判官は安定していて、退職金があるのが魅力である。

 

 こんなことを書いてると、弁護士になったのを後悔しているみたいだが、そんなことはない。無罪判決を獲得したときの達成感は、無罪判決を言い渡すときの裁判官とは比べものにならないはずである。幸いにして私は2回無罪判決を経験した。それだけでも、裁判官にならずに弁護士になったかいがある。

 それだけではない。社会的・政治的には小さなことかもしれないけれど、市民の方1人1人にとっては法的紛争は一生がかかった重大問題であり、その解決のお手伝いができることも弁護士の仕事のやりがいである。裁判官の立場では、市民の方と直接やり取りして、有利な紛争解決を目指すということは不可能である。自分にとっても依頼者にとっても納得がいく解決というのは、無罪判決をとるのと同じくらい難しいことであるが、そういう形で法的紛争解決ができたときの喜びはひとしおである。

 

 これからも、刑事、民事、家事の事件で、自分も依頼者も納得できる紛争解決を目指して、微力を尽くしたいものである。

 

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コメント: 2
  • #1

    高平照美 (木曜日, 09 4月 2020 17:37)

    二回も無罪判決を勝ち取っていらっしゃったとは❗凄い‼️
    おっくんの法衣姿も見て見たかった(弁護士姿も見ていないのに?)。
    どちらでも、おっくんらしく私(達)の立場に配慮してくれたと思うので、有難いです。
    益々のご活躍を楽しみにしています‼️

  • #2

    奥田 (金曜日, 10 4月 2020 19:43)

    高平さんありがとうございます。ご無沙汰しておりますが、札幌で細々弁護士をしてます。時節柄、ご自愛下さい。