ジャイアント・キリング

 刑事弁護は、比較的多く受任している方だと思う。弁護士会でも刑事弁護に関する委員会に所属しているし、裁判員裁判の経験もある。先日、裁判員経験者の方のお話を聞く機会があったが、「弁護士さんは勝ち目がなくても仕事をしないといけないので大変ですね。」と言われた。確かに有罪か無罪かが勝ち負けだとすると、99.9%有罪なわけで、ほとんど勝ち目は無いし、思うような成果が出せなくてへこむことも多い。しかし、自分は刑事弁護の仕事が好きだし、やめられないのである。

 

 理由の1つが、「ジャイアント・キリング」の爽快感である。

 警察・検察の捜査能力にはすさまじいものがあり、スマホ全盛、防犯カメラが至る所にあるこの時代、警察が本気を出せば、個人の生活はほとんど丸裸にすることが可能である。その上、警察には犯人(被疑者・被告人)を牢屋に閉じ込めておく権限もあり、犯人となった普通の人にとって、警察の力はウサギにとっての恐竜くらいのものがある。

 そんな犯人の弁護人として、知恵を絞り、技術を磨き、粘り強く証拠を精査して警察・検察に一泡吹かせ、一本取った時の爽快感は、経験した者でないとわからないと思う。無罪はなかなかとれないが、無罪判決を得た時は、「これだから刑事弁護はやめられない。」と思うのだ。

 

 理由の2つ目は、「犯人と自分とは大して違わない。」、「自分もいつ犯人の立場になるかわからない。」という思いである。

 マスコミやネットでは、しばしば犯人は極悪非道で一般市民と別世界の住人のような扱いをされている。しかし、弁護人として犯人と向き合ってよくよく話をしてみると、犯人も民事事件の依頼者(こちらは普通の市民の方々である)とほとんどかわらない普通の人々である。もちろん、自分とは考え方が違うことも多いが、他方で共感できる部分も多いのだ。刑事弁護をやっていると、犯人が別世界の住人ではなく、普通の人であることを実感する。他方で、ちょっとしたタイミングや心の隙や弱さが原因で、自分自身がいつ警察に逮捕され、「犯人」になっても不思議はないのだと身に染みて思う。

 ヤミ営業や薬物に手を出した芸人さんを極悪人のように言うコメンテーターもいるが、そんな人は今に自分の言葉がブーメランのように自分に返ってくるのではないだろうか。他人事ではないと思うからこそ、弁護にも力が入るのだ。

 

 理由の3つ目は、真実・事実は何かという好奇心である。刑事事件に限らず民事事件にもあてはまることであるが、真実・事実というものはちょっと見聞きしたぐらいではわからないものである。報道されるような刑事事件の弁護人になった経験もあるけれど、新聞に書いてあることと実際に犯人から聞いてみた話が大違いということは珍しくないし、証拠が明らかになってくると、当初の話が全く別の色合いに見えてくることもある。裁判所は証拠に基づいて事実を認定し、判決するけれど、裁判所が認定した事実が真実でない(少なくとも弁護人である自分には)ということだってあり得る。いくら証拠を精査して考えてみても真実には手が届きそうで、実は手が届かないのではないかとも思う。手が届かないと思うからこそ、犯人からの事情聴取や証拠の精査に丹念に取り組まねばと思うのだ。