LAW・朗・牢ブログ

2019年

3月

03日

「お名前」のはなし

 私の名前は「真与」と書いて「まさとも」と読む。「まさよ」「まよ」「まゆみ」「まさもと」などと読む人がいて、初見で読める人はまずいない。

 また、「真与」も「真弓」「真予」「真子」と書き間違える人が多くいる。

 電話などで名前の字解きをするときも結構面倒で、

「まさとも」といいます。

「まさ」は「真実」の「真」。 「はい。」

「とも」は「与える」と書いて「とも」読ませるのですが…。 「えっ。」

「ショージョージュヨ」の「与」なんですけれども…。 「えっ。」

「与作」の「与」なんです。 「あっ、あァ~。」

などということがときたまある。

 

 この名前になって50年以上経つけれど、自分でも読み間違いやすく書き間違いやすい名前であることはよく解っている。だから、人に読み間違えられたり、書き間違えられることについては、とてもおおらかに考えることができる。正直間違われても何とも思わない。

 

 ところが、人によっては自分の名前の書き間違い、読み間違いを結構気にする方がいる。「司」「次」「二」であったり、「利」「里」「理」だったり、読み方も濁るのか濁らないのかだったり、いろいろである。

 

 もちろん他人のお名前を正しく読み書きするのが礼儀であり、間違えるのは失礼なこともよく解っているつもりである。ただ、50を過ぎた頃から固有名詞に関する記憶力は衰退の一途をたどっており、同じ時期に「恵理」さんと「里絵」さんが依頼者や相手方にいたりすると、間違わないことは極めて難しい。

 

 普通は、謝れば許してもらえるが、それですまなかったことが2度ある。

 1つは、遺産分割の事件で、受任通知を出したのだが、一人の名前を書き間違えていたのである。「健司」さんを「健二」さんというぐらいの間違いだったと思う。

 その後、相手方から特に返事もなかったので、遺産分割調停の申立をした。調停期日に出頭すると、相手方の「ケンジ」さんが、「自分のところには受任通知が来ていないので調停の申立は無効である。」と主張していると調停委員から聞いたのである。別にあらかじめ通知を出しておくことが調停開始の有効要件ではないけれど、実質的話し合いに入る前の入口のところで調停がストップしてしまったのだ。

 結局この時は、調停を担当する裁判官が乗り出してくれて、受任通知が調停の開始要件でないことや私の書き間違いに悪意がないことなどを時間をかけて説明してくれたおかげで最終的には調停で解決することができた。

 

 2つ目は、同業者の方なら経験がある方も多いと思うが、債務名義(登記や差押に用いる裁判所が作る公的な書類)の書き間違いである。登記では「高橋」と「髙橋」や「ワタナベ」の「ベ」(辺、邊、邉)、「サイトウ」の「サイ」(斉、齊、斎)を間違うと法務局が受け付けてくれないこともあるようだ。

 通常は、更正決定といって、要は「書き間違いでしたので訂正します。」という裁判を改めてしてもらって、その書類をつけて手続をし直すことになる。

 この程度のことはたまにあるのだが、遺産分割の相手方が10人以上もいたために、特別送達(裁判所の書類を送達するための特別な郵送の方法で1,000円以上の切手代が必要)をやり直す必要があって全部で10,000円以上の出費となってしまい、「もったいないな。裁判所の書記官がちゃんと見てくれれば良いのに。」とぶつぶつ言っていたものである。

 

※一部、創作・抽象化しております。

2018年

12月

29日

ご家庭の「文化」?

 家事事件に関わっていると、それぞれの当事者のご家庭の「文化」の違いを感じることが多い。

 子供を躾けるときにも「体罰は絶対ダメ」というご家庭もあるし、「体罰やむなし」というご家庭もある。

 自分の実父母に配偶者の悪口を言うことについても「それは、許されない。」という人もいれば、「何の抵抗も無い。」という人もいる。

 配偶者のスマホを勝手にチェックするなんていうのは、時々雑誌やテレビでも話題にのぼるが、これについても感じ方は人それぞれであろうと思う(個人的には「浮気するならスマホは持つな」と考えている。)。

 

 長年弁護士をやっていると、依頼者や相手方の価値観というのは千差万別であるなぁ…としみじみ思う。さすがに大抵のことには驚かなくなったけれど、たまに「それはないでしょ!」と思うような価値観・習慣を持つ方に出会う。

 

 夫婦関係の紛争でも、遺産関係の紛争でもそうだが、紛争の根っこにご家庭の「文化」の対立があると、紛争の解決は困難を極める。どちらの文化が正しいとか、間違っているというわけではない。

 第三者的立場で関与する私からすれば、詳しくお話を聞いてみると「なるほどそういう考え方もあり」なのかと思える場合がほとんどである。しかしながら、当事者にとっては問題は「文化」の対立なので、いくら言葉を尽くして説得をしても容易に納得は得られない。

 イスラム教とキリスト教の対立と同じで、理屈の問題ではないので、対立が先鋭化して収拾がつかなくなることも多い。

 

 今はほとんどなくなったと思うが、見合い結婚というのはそれなりに合理性のある制度だったのかなとも思う。あらかじめご家庭の「文化」に共通性があることを確かめた上で結婚する制度だからだ。

 今のご夫婦はほとんど恋愛結婚だし、極端な話、ネットゲームで知り合って結婚したというカップルもいるようだ。そんなご夫婦が結婚するとご家庭の文化の違いに直面し、ギクシャクして、ときに離婚を前提にした紛争となる。

 

 うまくいっているご夫婦は、夫のA家の文化と妻のB家の文化を融合させてαβ家の新しい文化を創造しているように思う。ご家庭の文化を融合させるためには、夫と妻が良くコミュニケーションし、かつ互いに相当譲歩することが必要なのだと思う。

 文化の融合は極めて困難な作業であり、場合によっては「改宗」にも匹敵するほどの価値観や習慣の根本的な変更を迫られる。

 特に弁護士が関わるような紛争の場合、既に対立が決定的となっており、円満解決のためには当事者相互の相当な努力が必要となるし、それが無理であれば、円満解決をあきらめるしかない場合もある。

 

 私自身は、できれば円満解決が望ましいと考えている-とりわけ幼いお子さんがいるご夫婦の場合-が、力およばず残念な思いをすることも多い。

2018年

12月

01日

パワハラ?

 もう25年以上前のことであるが、私にも司法修習生(裁判官、検察官弁護士になるための研修生)であった時代がある。当時研修期間は2年間で、私は札幌で研修を受けたのだが、札幌に配属された研修生は男性ばかりの18名であった。当時は、研修生と研修先の裁判官、検察官、弁護士との関係も現在とは比べものにならないほど親密であった。指導担当の裁判官や検察官のご自宅にお招きいただいたこともあるし、観楓会(秋に紅葉を愛でると称して行う飲み会)、スキー等の親睦旅行にも連れていっていただいた。

 観楓会の温泉旅行の宴席で、中堅裁判官に頭からビールをかけられたこともあったっけ。「○○さんやめてくださいよォー」といった程度のおふざけであるが、今の感覚からしたらこれもパワハラなのかしら?

 指導裁判官・検察官の研修生に対する指導もそれなりに厳しいもので、明らかに駄目出しされることは珍しくなかったように思う。それでも研修生に対する指導はまだ手加減されている方で、若い裁判官・検察官に対する上司の指導はさらに厳しいものであった。当時、上司に叱責されてしょげかえっている若い裁判官や検察官の姿を見たことは1度や2度ではない。

 時を経て、私も弁護士25年目となった。弁護士会の会議の参加メンバーを見まわしても、ももうジジイの方である。裁判の相手方になる弁護士も、協力して事件に取り組む弁護士も私より若い方が多い。若い弁護士から見ると私の態度がパワハラとなっていないかしらと時々気になる。

 非常に大ざっぱなたとえだが、若い弁護士の起案(訴状や弁論など法律文書の草案)を見せてもらって、私が気になる点が10あるとしよう。そのうち5くらいが若い弁護士の間違いで、3くらいが意見の分かれるところ、2くらいが私の勘違い、間違いであるとする。10全部を指摘すると若い弁護士からみるとパワハラとなってしまうのではないかと気になる。結局、明らかに若い弁護士が勘違いしていると思われる点を2、3指摘するだけにしてしまう。本当は3くらいある意見が分かれるところで充実した議論がしたいのだが、議論を仕掛けると若い人が萎縮してしまうのではないかと考えてしまう。そうすると私自身も消化不良に終わるし、若い弁護士からみても「なんだぁー」てな感じで終わってしまうのではないか。

 「NITA」という刑事弁護活動の実地研修でも、講師はまず良い点をほめた上で、改善点を1つだけ指摘するのが基本だという。なんだかまどろっこしい気もするが、それこそ「ゆとり(学習)世代」が今の若手なので、そのぐらい配慮してあげる必要があるのかも知れない。

 結局のところ侃々諤々の議論は同年配の弁護士や少なくなりつつある先輩弁護士に仕掛けるしかない。

 多少きつく批評してもへこたれない生意気な若手がいないかなぁー…。生意気な奴にもそれはそれで腹が立つこともあるのだが。

2018年

9月

22日

相続関係調査

 「人の死」は避けられないものです。人が亡くなると相続が発生します。また、高齢で自身の財産を管理することが難しくなった場合、成年後見人制度が利用できます。

 相続や成年後見人制度の利用の前提として、相続人(成年後見制度利用の場合は「推定相続人」以下、同じ)の調査が必要になります。夫が亡くなった場合を例に考えてみましょう。

 

 夫が亡くなり遺族(相続人)が妻と子だけの場合は調査は比較的簡単です。

 しかし、夫婦に子がいないと、夫が普通の寿命で亡くなった場合、既に夫の父母は亡くなっていることが多く、その場合、相続人は妻と夫の兄弟姉妹、場合によると甥姪となります。また、夫に離婚歴があり、前妻との間に子がいるとその子も相続人になります。兄弟姉妹がたくさんいたり、音信不通になっている相続人がいたりすると相続人の調査は結構面倒なことになります。市区町村役場から戸籍の写しを取り寄せれば良いのですが、一般の方だと苗字が違う人の戸籍をとるだけでも面倒なようです。また、相続人が兄弟姉妹の場合、原則として夫の父母が生まれた時点に遡って戸籍を取り寄せる必要があります。いわゆる「隠し子(兄弟姉妹)」がいなかったかどうか確認する必要があるためです。そうすると、夫の祖父母の戸籍まで取り寄せる必要があり、時には、夫の祖父母が江戸時代(慶応、嘉永等)の生まれだったりすることもあります。

 さらに、北海道の方はご先祖が内地から来た方も多いため、ご先祖の戸籍が道内にないことも珍しくありません。現にこの間、四国の戸籍を取り寄せたこともありました。

 

 このように相続人を調査して相続人を確定するだけでも結構手間がかかり、一般の方でも不可能とはいいませんが、かなりの手間暇が必要です。

 相続人調査の作業は、相続について親族間でもめごとが無い場合でも必要となります。例えば、亡くなった方の銀行預金を引き出すためには、原則として相続人全員の承諾が必要となり、銀行に戸籍関係の書類を提出することが必要になります。最近、法務局で法定相続情報証明制度が開始されましたが、これも、一度は戸籍関係の書類を全て取り寄せて、法務局に申請する必要があります。

 このような手間暇を考えると、預金が数万円ある程度なら、引き出すのをあきらめた方が得なぐらいです。他方で亡くなったご親族が土地建物を有していたり、結構な額の預金を遺されている場合もあるでしょう。この場合、遺産を分割したり処分するには前提として相続人を調査して確定する作業が必要です。

 

 相続人調査・確定はなかなか一般の方には面倒なことが多く、そのため問題を先送りにしがちです。しかし、問題を先送りにしていると、その間にさらに他の親族が亡くなったりして相続関係が複雑になり、収拾困難になることすらあり得ます。

 

 当事務所では、遺産分割、成年後見申立のご依頼だけでなく、相続人調査・確定だけのご依頼も受けておりますので、お気軽にご相談下さい。

 

 

 

2018年

9月

16日

ブログ再開

 ほとんど1年ぶりのブログである。世間的には冬季オリンピックがあり、今年が平成最後の年になることが決定し、夏が来たと思ったら、台風が来て地震が来て、あっという間に秋になり1年が過ぎた。

 個人的にこの1年で大きかったのは、体調を崩してそれ以後お酒をやめていることである。もともと酒好きなので、やめるのは結構大変であった。覚せい剤や大麻と違ってコンビニで売ってるし、コマーシャルまでやっているので誘惑はつきない。特にこの間の地震では、コンビニの商品がほとんど底をついている中、酒類だけが豊富な品揃えを誇っていた。

 とはいえ、弁護士業務のほうはほとんど休まずに続けられているし、50半ばで体力の衰えは否定できないが、技術的には「まだまだ若いもんには負けん」という自負もある。

 取り扱い業務は、相変わらず夫婦関係、相続等の家事事件、交通事故、刑事事件等が中心である。裁判員裁判事件も1件担当した。

 事件を取り扱っていて、やりきれなさや無力感を感じることもあるが、他方で難しい面会交流事件(もと夫婦の間で子供と会うことを取り決める)で長いこと会えなかった親子の面会が実現したり、刑事事件で納得のいく証人尋問ができたり、それなりに充実感も味わうことができた。

 というわけで、近況をご報告する共に、ブログを再開しようと思う。無理せず月1回ぐらいの更新をめざそうと考えているが、さてどうなることやら。

2017年

10月

15日

衆議院議員選挙

 世間は衆議院議員選挙真っ盛りである。枝野さんもオバマさんも弁護士である。他にも弁護士資格を持つ政治家は多い。弁護士と政治家の共通点は代理人であることだと思う。弁護士は訴訟代理人や弁護人(ある意味、犯人の「代理人」)となるし、政治家はしばしば「国民の代理人」と言われる。

 そんなわけで、代理人としての資質について考えてみたい。私が思うに代理人に必要なのは、①誠実であること、②第三者として多角的なものの見方ができること(政治家のことはよくわからないが、弁護士であれば、主張や証拠が裁判所、相手方、依頼者などにどのように受け止められるのか常に意識する必要があると思われる。政治家ならさらに種々の利害関係者がいるので、多角的なものの見方は不可欠だと思われる。)、③引き出しの多さ(Aという方法が難しければ、B、Cといった別の手段・方法を柔軟に考えられる思考力)、④見通し力(現状を冷静に分析し、今後の方針を立てる力)などが必要だと考える。私自身が①ないし④の能力を十分に持っているとは思わないし、①ないし④の能力については、弁護士である以上、一生かけて磨き続けねばならない。

 今回の選挙では、①ないし④の能力を持ち、磨き続けようという姿勢が見られる候補者・政党に投票しようと思う。

 

2017年

9月

28日

まとまり難きもの

 清少納言風に、まとまり難きもの。親がついてくる離婚調停、配偶者がついてくる遺産分割調停。

 家事調停官(非常勤裁判官)を経験し、今は、家事調停員もやっているが、上記を実感することが多い。なぜかというと実質的に弁護士費用などのお金を出しているのが、本人(夫・妻や相続人)じゃなくて、(夫・妻)の親や(相続人)の配偶者でその人が実質的決定権を持っているからだ。家事調停室には本人以外入れないのが原則だ。家事調停室で一生懸命本人を説得し、本人が納得してその気(調停をまとめる)になっても、本人に同行して、待合室に待機している親・配偶者が「何でそんなに弱気なんだ。」とか「もっとお金を取れるはずだ。」などと、主張すると、待合室から戻ってきた本人の対応が「やっぱりこの条件では納得できません。」とかわる(調停をまとめない)場合も多い。こんな場合、本人ではなく、親や配偶者の存在を見据えて説得につとめる必要がある。

2017年

9月

06日

面会交流調停の難しさ

 私は、現在、札幌家庭裁判所の家事調停委員でもあるし、家事調停官(非常勤裁判官)の経験もある。家事調停事件はどの事件も難しいけれど、特に難しいのが面会交流調停事件(離婚済み又は、離婚調停中の(元)ご夫婦間の、子供に会わせろ、会わせないの紛争)である。また、弁護士として面会交流調停当事者をご依頼人として手続代理人もつとめる身である。

 現在も、手続代理人として難しい面会交流調停事件を2件抱えている。

 家事調停委員、調停官として、裁判所側のスタンスをとると、「大人の事情でお子さんの面会交流の機会を奪うなよ。」「未成年の父母は、もう少し大人になって、お子さんの福祉に何が必要か考えてよ。」「何とか大人の事情とお子さんの福祉を切り離して考えてもらえないかな。」とも思うのだ。

 他方、当事者代理人の立場からすると、依頼者のお気持ち、相手方に対する不信感はよくわかる。それでも、そこを何とか譲歩してもらって、お子さんとの面会交流を実現させたいものだと依頼者の説得に腐心する今日この頃である。

 

2017年

8月

16日

見るとやるとで大違い

 平成29年8月8日から10日まで東京の日弁連で法廷弁護技術研修を受講した。講師はあこがれの後藤貞人弁護士はじめ錚々たる刑事弁護人たちである。

 その講師たちの前で、模擬裁判記録に基づいて、冒頭陳述や証人尋問、弁論を実演し、講師たちから自分の法廷弁護活動において批評を受けるのが主な目的である。また、実演は動画に撮ってもらえるので、後から講師と一緒に見てこれについても批評を受ける。私のクセ、であるが結構からだが揺れるのと、失敗すると頭が上がったり逆にガクッと下がったりする点である。もう少し堂々と実演するのが理想なのだが…。また、内容も私の質問に講師役が罠(?)のような回答をしてくると、それに見事にはまってしまい、その後の対応がスムーズに行かないことがあった。

 私は札幌地裁で裁判員裁判を傍聴することを頻繁に行っており、「その際には自分ならこんな風にやるのに」とかいろいろ考えながら傍聴しているのだが、今回の研修はまさに「見るとやるとで大違い」ということを実感できた研修であった。

 あまり行くことのない猛暑の東京で3日間、体力的にも大変きつかった。

 研修やお盆休みも明け、本日から事務所を本格的に再開、体調を壊さぬようソロリと始動します。

 

2017年

5月

29日

法廷技術研修

 去年の4月から、北海学園大学で刑事弁護の実務を教えている。授業のベースになっているのは、日弁連がやっている法廷技術研修である。法廷技術研修には、私自身が教えられることもとても多い。夏には、東京で行われる法廷技術研修を受講する予定である。

 いま、「弁護のゴールデンルール」(キース・エヴァンス著・高野隆訳)という本を読み返している。裁判員制度が始まった平成21年前後に購入した本だと思われる。当時、よく解らなかったことが、いまでは理解できる。法廷弁護士を続ける限り何度も読み返すべき本だと思う。

 日弁連の法廷技術研修は、「弁護のゴールデンルール」やNITA(アメリカの法廷弁護士の研修所のようなもの)の研究成果に負うところ大であると思われる。しかし、日本の裁判員制度は、アメリカやイギリスの刑事裁判制度とは異なっている。一番大きな違いは、裁判官も市民と一緒に審理にたずさわることである。

 裁判官は公判前整理手続(裁判員裁判を始める前に行う準備のための手続)を主催し、事実上事件に対し、予断と偏見を持っている。また、裁判員経験者の意見を聴く会に参加したり、議事録を読むと、裁判員の中には、裁判官を先生のように思っている裁判員経験者を目にする。「時間割があって、それに従って評議が進行するので、とても安心できました。」とか「裁判官は、何も解らない私のためにとてもていねいに、難しい法律問題を説明してくれました。」といった発言を目にする。教師と生徒の関係では、対等な議論などできるはずはない。

 また、日本人の国民性には生真面目な側面がある、アメリカ人やイギリス人ほどアバウトではないのだ。

 日本の裁判員裁判の上記のような特徴に対応するためには、アメリカやイギリス流の法廷弁護活動そのままでは、ダメだと思う。

 裁判員制度が始まって早8年、この点に関する研究は緒についたばかりであるが、この点に関する研究を私自身もすべきと思うし、法廷技術研修の講師の方々にも早急に研究成果を発表していただきたいと思う。